万祝と白浜海洋美術館について その2

白浜海洋美術館所蔵の万祝

少し「万祝」についてご紹介したいと思います。
万祝(まいわい)とは大漁の祝いに、船主が乗り手達にお祝いとして配った「漁師の晴れ着」のことで江戸時代末期、房総半島一帯から広まったといわれています。

白浜海洋美術館所蔵の万祝

大漁の祝着である万祝は、北は青森から南は静岡辺りの太平洋沿岸で見られ、
木綿生地に背型には鶴に家紋や船印、鶴の口には吹き流しをくわえさせ
年代や漁船名等を記入腰型には鶴亀・松竹梅・七福神・注連縄などの縁起物や浦島太郎・桃太郎などの昔話やイワシ、カツオ、マグロ、クジラなどの漁獲物などが鮮やかな極彩色で染められ、地は藍色に染められました。

白浜海洋美術館所蔵の万祝
万祝に使われた型紙

絵柄は型染で行われました。
型染めとは、和紙を柿渋で塗り重ね丈夫にした渋紙を小刀で柄を彫り
型紙を版として何度も繰り返し柄付けを行う染め方です。

万祝に使われた型紙
万祝に使われた型紙細部をみると当時の職人の息づかいが記憶されている様です
大漁の文字細部
大漁の文字細部

明治、大正、昭和初期に見られた万祝も
高度経済成長の波の中で消えてしまいました。

万祝は、漁が大漁だった時のご祝儀として作られたり
年末のボーナスとして配られ、新年の挨拶時に万祝を着て船主元での宴会に参加することで、今年も同じ船に乗る、という意思表示の役割もあったそうです。

同じ船に乗る証に万祝を着て新年の酒を飲み
一緒に伊勢参りをした写真が残っていて、何て「粋」な世界なんだろう。

そんな意味合いがあったので、船主もなるべく「良いもの」その時々の祝いにふさわしい柄を発注していた様です。

白浜海洋美術館名誉館長 柳和子さん
白浜海洋美術館名誉館長 柳和子さん

柳さんいわく、万祝は初期のモノの方が仕事が丁寧。
当時は「良いモノをつくろう」という心意気が伝わってきて、
職人が技を競っていた。
大正から昭和になると、大量生産してお金を儲けよう、みたいな
商売っけが混じるようになり、波の曲線にしても、藍の染め具合にしても
仕事も雑になってきた。

説明を聞きながら、展示の万祝を眺めると
一目瞭然。時を経て、丁寧な仕事は今もその容姿を残しています。

その3へ続きます。

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